韓国記2
初日から何やら普段と違う感覚に
襲われ、これまでにない世界を歩けそうな気がしましたが、
この予感は少しずつ現実になったのです。
一日目の晩にあったシスターの講義で深く示されたことは
「神さまに直接尋ねてみる」、このことの大切、そしてその練習だということでした。
本来の自分を求める旅を歩いているような私たち
その旅のさなかに、主の声を聴くことが求められている、と知らされました。
旅の疲れと新しい環境への緊張
そして圧倒される講義のエネルギーに
疲れたような、頭が冴えているような。
ぐったりして床に就き、とにかく二日目の朝を迎えました。
毎日、朝8時、昼12時、晩6時に食事があります。
朝の食事を待っている間、早速目に入った景色から尋ねてみるか、と思いました。
目に入ったのは食堂の窓から見える木。
その木に一枚の葉が寒風になびいています。
よく見るとその木の最後の一葉でした。
もう枯色です。
これはどんな意味ですか? と尋ねてみる。
「この一枚によって風がわかる」ときました。
おっかなびっくりの問いに言葉が与えられました。さらに
「聖霊の動きがなされる」と続きました。
それは私にとってはどんな意味ですか?
「たった一人になっても、このことをする」ときたのです。
どういうことかと思いましたが、
つまり、誰もいなくなっても私はここにいるという場所を持つこと、そういうことか。
しかもそれは、聖霊と・・・・・
と、これでやりとりは終了。
食事の合図、ちょうど鐘が鳴らされました。
これがそうなのだろうか。
なにかまだあやふやな気持ちでしたが
ムムっという気持ち。
つづく
礼拝堂が二階にあります