目で見る教会暦
ルーテル教会は教会暦に基づいて礼拝を執り行っています。
一年間を単位として、聖書の御言葉を配分して、主キリストのご生涯と重ねています。
それは季節(節)や記念主日によって色で表現されます。牧師が身に着けるストラ(ストール)や聖壇布も季節の色を使用します。
白は神とキリストの栄光
赤は聖霊の働き
紫は王の尊厳と悔い改め
緑は希望と成長
青は天国、真実、普遍
をそれぞれ象徴的に表しています。
待降節 (アドベント)
以前は受難節と呼ばれ、紫を用いていましたが、悲しみや痛みの表現でもある紫から、青を用いるようになりました。青はマリアを示す色でもあるそうです。待降節にはふさわしいかもしれません。
待降節は、キリストの誕生を待つ季節です。
礼拝ではアドベントキャンドル(紫色)を用意して、一週毎に火を灯すろうそくを一本ずつ増やしていきます。四週目には降誕を祝うクリスマス礼拝が執り行われます。肉体を持って人として誕生されるイエス様、神とわたし達をつないでくださった方を心に刻みます。
...その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
(ルカによる福音書2:8~15)
降誕節 (クリスマス)
受難を現す紫から、白に変わります。
救い主イエス・キリストの誕生を覚え祝う降誕日から顕現までの季節です。降誕前夜のクリスマス・イヴは今やクリスチャンでなくとも祝うお祭りになっています。
...家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
(マタイによる福音書 2:11)
クリスマスツリーの輝きは、占星術者たちが見た東方での星を思いおこさせます。美しさと静けさの中で、干草に包まった幼子を心に刻みます。
(東京ルーテルセンター教会では、毎年12月24日のクリスマスイブには、クリスマスイブ礼拝として、キャンドルサービスを行っております。主イエス・キリストの誕生を覚え祝う聖なる夜を、教会で過ごされては如何ですか? 礼拝にはどなたでもご自由に参加できます。ご家族、ご友人をお誘い、お気軽にお尋ね下さい。)
顕現節
顕現節はイエス様が成長しヨハネから洗礼を受け、悪魔の誘惑に打ち勝ち公生涯を歩むことを記念しています。多くの教えと癒し、奇跡、それは3年間程の間の出来事だったと伝えられています。
...そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて”霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
(マルコによる福音書 1:9~11)
□灰の水曜日・四旬節・枝の主日
四旬節は、以前受難節とも呼ばれていたように、イエス様が苦難を受け十字架の死へ向かう時期を覚えます。何も知らない民はイエスを王になる方と喜び、シュロの葉を道に敷き、イスラエルに入場するのを迎え入れます。そのことの記念が枝の主日で、受難週に入ります。
ユダヤの民が悲しみを表すのに灰をかぶると聖書によくでてきます。灰をかぶるように、わたし達のためにイエス様が十字架上で死んでくださることを思い描きます。
四旬節は灰の水曜日から始まり、復活日前日までを指します。
...しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。
(ルカによる福音書22:21~23)
イスカリオテのユダがイエスを裏切り、役人に引き渡しました。しかし、イエス様を信じる者は誰もが思うはず。ユダはわたしだと。人の罪がイエスを十字架の死へ向かわせたのです。わたしの中にある罪を心に刻みます。
聖金曜日 (受苦日)
聖金曜日には、イエス様が十字架上で死を迎えられたことを覚えます。全ての色を覆い尽くす黒が用いられます。
復活節(イースター)
復活節は、死から3日後にイエス様が約束されたようによみがえられた事を記念する季節です。よみがえりの象徴として、蝶や卵などが用いられ、クリスマス以上に世界の多くの地域で春のお祝いをします。
...マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」
こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。
(ヨハネによる福音書 20:11~16)
死のない世界、苦しみのない世界を心に刻みます。
昇天主日
...イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。
(ルカによる福音書 244:50~53)
復活の主は天に上げられました。
そして、今も祝福を送ってくださいます。
聖霊降臨(ペンテコステ)
聖霊降臨は、わたし達人間が初めて神からの霊を受けたこと指します。聖書にその時の記録が載っています。日々の生活で聖霊の力なしでどのように信仰を保ち続けることができるでしょうか。
三位一体主日
聖霊降臨の出来事から後、父と子と聖霊が一つとなって、わたし達を守りささえ力づけてくださるのです。そのことを記念し感謝をささげます。
...五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
不思議なことですが、聖書の箇所です。全てを治めてくださる神の存在に気づくのは、なぜでしょう。
わたしにも力が届き働いていることを、心に刻みます。
聖霊降臨後~待降節まで
聖書の福音以降は、パウロがたくさんの励ましと訓戒の手紙を各地の教会へ送ったことでできあがっています。イエス・キリストの死後2000年以上もの間、苦難がありながらキリスト信仰は、はぐくまれ伝えられています。わたし達もその信仰にあずかり生涯を歩み続けたいと願います。再びめぐるイエス様誕生の記念や、受難、復活へと繰り返す暦の中にあって育まれたいものです。
...わたしは主をたたえます。
主はわたしの思いを励まし、わたしの心を夜ごと諭してくださいます。
わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし、わたしは揺らぐことがありません。
わたしの心は喜び、魂は躍ります。からだは安心して憩います。
あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく
あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず
命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い
右の御手から永遠の喜びをいただきます。
(詩編16:7~11)
イエスを一度は切ったペテロは、人々の前で詩編を引用して力強く説教します。わたし達も罪の者ですが、信仰の成長を日々の生活の中で、友人との交わりの中で、育てていくことを心に刻みましょう。
宗教改革記念主日
ルーテル教会はマルチン・ルターの宗教改革によって始まった教会です。毎年10月の第4主日には「ただ信仰のみによって救われる。」と説いたルターを称え、イエス様を見上げ師の働きと教えに感謝します。ルターはだれでも神との親しい交わりができることを信じ、戦ってくださいました。歴史の教科書で教わった宗教改革という出来事が輝きを放ってきます。
全聖徒記念主日
イエス・キリストに希望を抱きつつ、この世を去られた多くの兄弟姉妹を覚え、死からの開放と救いを感謝します。先に走り抜かれた信仰の先輩方の後を歩みたいと思い描きます。
先立たれた家族を持っている者にとっては、なんと慰めの時でしょうか。
アメリカでは、この日がハロウィーンの祭りとして、大衆行事になり楽しまれています。
【バーナーについて】
ルーテルセンター教会の礼拝堂は、ルーテル教団、東京ルーテルセンター教会、セントポール・インターナショナル・ルーテル教会で使用しています。いままで礼拝堂を飾るバーナーを様々な方たちが製作してこられました。最近では、セント・ポール教会の婦人の方たちの奉仕ですばらしいものが、年毎に増えています。このことは礼拝に出席するわたし達の楽しみと、喜びでもあります。布地の色使いと斬新なデザインは彼女たちを通して神様の業を感じることができます。