センター教会の歴史
東京ルーテルセンター教会の歴史は、第2次世界大戦終結から3年後の1948年、アメリカのルーテル教会ミズーリ・シノッド(ミズーリ派・以下LCMS)が日本伝道のためにウィリアム・ダンカー師を初めとする宣教師団を派遣したことに始まります。
1948年から1953年にかけてだけでも36名(内妻帯者は22名で宣教師2人分の働きをしたと言われています)もの宣教師が来日して、東京・横浜など関東地区、札幌・旭川など北海道地区、新潟、新発田など新潟地区での伝道に着手しています。
多くの土地と建物(教会や牧師館)がLCMSとルーテル婦人連盟からの献金によって購入され、現在の日本ルーテル教団(NRK)34教会の基盤となっています。
1976年NRKは自給、自立に踏み切りLCMSとは姉妹教会となりましたが、その良好な関係は現在も続いています。当教会も日本ルーテル教団に属しています。
1950年に宣教師団は本部として、又、将来神学院として用いる建物を探していました。その頃、東京神学大学(日本基督教団)が更に広い空間を確保するために、都心の建物を売って郊外三鷹に移転することを考えているという情報が入りました。
鉄筋コンクリート地上4階、地下1階で2つの塔屋を持つこの建物は、都心にあり交通の便もよく宣教師団の現在と将来にとって理想的と思われました。1951年4月建物はLCMSの所有となって東京ルーテルセンターと名づけられ、サンフランシスコ講和条約の調印式と同じ日の1951年9月9日に330人が出席して祝福の内に奉献されました。
E・J・ベルヒト宣教師が活動責任者となって1951年10月14日から日本語による礼拝が開始され、1952年末までに21名の陪餐者と13名の会員を持つに至りました。
(A・ストレギー著「日本におけるミズーリ・シノッド伝道史」より)
これが東京ルーテルセンター教会の始まりです。2011年に宣教60周年を迎えました。現在活動会員数は約100名です。この教会は東京ルーテルセンタービルの2階にありますが、この建物は現在の富士見町教会と、その教会の歴代牧師の中でも特に高名な植村正久牧師(1858~1925)の強い指導の下に、現代建築黎明期の建築家長谷部鋭吉の設計により日本神学校として1937年に建てられました。保存の価値のある優れた建物として東京都から歴史的建造物に指定され、見学者がよく訪れています。
歴代牧師
◆エルマー・J・ベルヒト宣教師 1951年~1957年
◆ポール・ストレギー宣教師 1957年~1958年
1958年名尾耕作師が最初の日本人牧師として招聘されました。名尾牧師は1958年~1963年神学院院長に就任するまで責任教職を務められ、後任として現ルーテル学院大学名誉教授の柴田千頭男牧師が招聘され、1963年~1975年教団議長就任まで牧会されました。
1975年~1989年までは當間俊雄師が就任、その後小見民義牧師が1989年~1998年まで牧会されました。
1998年4月、齋藤衛牧師を招聘、現在に至っています。齋藤牧師は就任以来、神学院と日本ルーテル神学校で教鞭をとられ、現在は准教授として後進の指導にあたっています。その間に東京成徳大学大学院心理学科でカウンセリングを専攻、心理学修士号を取得しました。多忙な牧師ですが、ルーテル教会の特徴である説教と聖餐を大切に守る姿勢を貫いています。