2016年10月11日「あなたをまねかずにはいられない」

1イエスは、また、たとえを用いて語られた。2「天の国は、ある王が王子のために婚礼の祝宴を催したのに似ている。3王は家来たちを送り、祝宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。4そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、祝宴にお出でください。」』5しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、6また、他の人々は王の家来たちを捕まえて侮辱を加えた上、殺してしまった。7王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。8そして、家来たちに言った。『祝宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。9だから、四つ辻に出て行って、見かけた者は誰でも祝宴に招きなさい。』10それで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、祝宴は客でいっぱいになった。11王が入って来て客を見回すと、そこに礼服を着ていない者が一人いた。12王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、13王は召し使いたちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。そこで泣きわめき、歯ぎしりするであろう。』14招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」(マタイによる福音書:22章 1~14節)

わたしたちの父である神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにありますように。アーメン

今日の福音書の日課で、イエス様は天の国の譬えを話します。「天の国は、ある王が王子のために婚礼の祝宴を催したのに似ている」(二節)。天の国とは○○な場所というよりも、祝宴を催す王に譬えられているのです。だから、今日の日課でイエス様がする譬えを、神様とはどういう方かについての話として、私たちは受け止めたいのです。

イエス様がした譬えはこのような内容でした。王が家来たちを送って、婚礼に人を招きます。けれども人々は来ようとしません。王は別の家来たちを送って再び招きます。「すっかり用意ができています。さあ、祝宴にお出でください」(四節)と呼びかけます。しかし、人々は王の招きを無視しました。使いに出した家来を殺す者もいました。その結果、王は怒り、この人たちを滅ぼして、その町を焼き払いました。

次に王は家来に命じて言います。「祝宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、四つ辻に出て行って、見かけた者は誰でも祝宴に招きなさい」(八、九節)。家来たちは善人も悪人も皆集めて来たので、祝宴は客でいっぱいになりました。

ところが、婚礼の礼服を着ていない人がいます。王はその人に言います。「友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか」(一二節)。礼服を着ていない人は黙っていました。すると、王は言います。「この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ」(一三節)。

この譬えで王は、決して急な誘いをしているわけではありません。招いておいた人たちに、招きの言葉を重ねて伝えます。それでも人々は来てくれない。悪意をもって拒む者もいる。そこで、あらかじめ招いておいた人とは別の人々を招きます。今度は、とにかく誰でもいいから多くの人々を招きます。悪人までをも招くとは、なんともその真剣さや必死さを感じます。神様の招きは、私たち人間がする招きとは大きく違うことが伝わってきます。私たちが善人だろうが悪人だろうが関係なく、神様は私たちを招く方のです。神様が主催の宴会、私たちにとっては救いの祝いの席に、私たちは招かれています。神様は救いを準備して待っている。しかも「すっかり用意ができて」いる。神様はすべての人々を祝宴の席がいっぱいになるまで招き、喜びを分かち合おうとします。神様の愛の深さを知らされます。

その一方で、私たちはこの譬えを通して、人間の本当の姿を知らされます。神の招きに応じない人間の姿です。神との関係においての問題が浮き彫りになります。今日の譬えは「二人の息子」の譬え、「ぶどう園と農夫」の譬えに続くものです。今日のものも合わせて三つの譬えを祭司長たちやファリサイ派の人々が聞いています。彼らは、預言者の言葉を信じなかった者たち、預言者を迫害して殺した者たちとしてイエスは描きます。今日の譬えでもそうです。当時の宗教指導者たちは、神から与えられた律法を研究し、これを守れば神の裁きを免れると信じていました。決して怠けていたわけではありません。神の前に出ても問題ないように、一生懸命に鍛錬を重ねてきたのです。これだけの準備をしているのだから大丈夫、自分は神に認められている自信がある。そのように本気で安心していたのだと思います。

しかし、イエスはこれでもかと言わんばかりに突きつけます。あなたたちは神に敵対する者である、神の裁きを逃れられると安心しているあなたたちは神の国に入れない、と。そんなことを言われるから、彼らはイエスを敵視し、殺したいほど憎むのです。彼らにとっては余計なお世話、イエスの存在は必要ないのです。自分はもう招かれているのだから。

その祭司長やファリサイ派に向けて、イエスは伝えます。救いの席に招かれているのは、あなたたちではない、と。神の律法のことをよく学んでいたとしても、イエスの言葉を聞かずに拒む者は、神の裁きを免れないのです。祭司長やファリサイ派は律法を大事にしていましたが、律法を守ることだけに意識が向いていました。そもそも律法が神様からの愛の贈り物であることを忘れていました。だから、神の招きの声に耳を傾けず、律法そのものに固執して信頼する姿勢を、イエスは厳しく指摘するのです。

そして、私たちには譬えを通して、もう一つ知らされることがあります。それは、神に招かれても選ばれない者がいるということです。善人も悪人も招かれた。しかし、礼服を着ていないと放り出されてしまう。この礼服を着ていない一人に対して王は問います。「友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか」(一二節)。礼服を着ていなかった人は、黙っていました。何も言わなかった。あるいは、言えなかったのかもしれない。いずれにせよ、ここでは、神とその人との関係が断絶していることが描かれます。救いの宴席に入りながら、その意味が分かっていないのです。自分がなぜ生きているのか、どこに立っているのか、誰につながっているのかが、不確かなのです。

私たちはどうでしょうか。神様が、私たちにとっての信仰の源、命の源であることを、聖書を通して受け止めてはいる。でも、日々の忙しさや現実の厳しさの中で、そのことを忘れてしまう。神様に信頼することをせず、神なんて関係ないという態度で日々を過ごしていることに気づかされます。神様の宴席に座っていても、形だけでは関係が保てているように見えても、実は神様と自分の間に溝ができている。そのことを思い知らされます。あなたたちは神に愛された神の子ではないのか、それを忘れているのではないか。イエスの問いが、祭司長やファリサイ派にも、そして聖書の言葉を聞く私たちの元にも届けられているのです。

この問いを投げかけるイエス様は、神様との間に溝がある人間を深く憐れまれました。イエス様は、既に十字架によって、徹底的に滅ぼされ、死の暗闇に放り出されました。神様に選ばれているはずのイエス様が、私たちと同じ側に立ってくれているのです。神様の愛から離れている私たちが、イエス様の十字架の出来事によって、神様に選ばれ、愛される者とされています。神様とのつながりを忘れている者にそのつながりを思い出させるために、神様に裁かれるはずの者の命を守るために、イエス様は十字架で死に、復活されたのです。

パウロによれば、イエス様が救い主だと信じている私たちは、「キリストを着たのです」(ガラテヤ三章二七節)。救いの祝いの席で礼服を持っていない私たちのために、すでにキリストという礼服を神様が着せてくれています。私たちが神の目に適うようになったからではない。神様の方から、そのふさわしい理由を用意してくださったのです。しかし、ふさわしい理由を与えられておしまいではありません。キリストに出会うことや、洗礼を受けることはゴールではありません。聖書を通して、神様のことばを聞き続け、神様に立ち帰り続けることを、私たちは求められるのです。むしろ私たちはスタート地点に立たされています。キリスト者であり続けること、神様に向き直り続けることには大きな困難があり、また大きな喜びがあります。私たちは神様の前で、愛の招きを受け止めたい。キリストを知る私たちに、また新たな課題を、新たな生き方を今度は与えられているのです。神様から与えられた命を精一杯輝かせて生きていきたい。神様とつながり、信仰の仲間たちとつながっていたい。きっと誰もがそう願っている。それが実現していくために、神様の思いに、イエス様の招きの声に信頼して、聞き続けて行きたい、求め続けたいのです。

神様は、私たちが救いを願い求める前から、私たちを招き続けています。私たちが善人でも悪人でも構わない。神様は私たちを何としてでも救いたい。神様と私たちのつながりを断ち切るものから、私たちを取り戻そうとしている。神様は招かずにはいられないのです。神様は、今日も私たちに招きの言葉を伝えるのです。

「すっかり用意ができています。さあ、祝宴にお出でください」。

人知ではとうてい計り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン

(澤田春貴神学生)

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